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地域活動への参加

桐生 悠一
2005-6-29

歴史上初めて、人間のほうが組織より長命になった。そこでまったく新しい問題が生れた。第二の人生をどうするかである。もはや、30歳で就職した組織が60歳になっても存続しているとは言い切れない。その上、ほとんどの人間にとって、同じ種類の仕事を続けるには、40年、50年は長すぎる。飽きてくる。面白くなくなる。惰性になる。耐えられなくなる。周囲の者も迷惑する。・・・しかし、第二の人生をもつには、一つだけ条件がある。本格的に踏み切るはるか前から、助走していなければならない。(P.F.ドラッカー/明日を支配するもの/ダイヤモンド社刊)

1.地域の活動に参加しない人たちの日常生活(私の知人たちの実例)

HF氏の場合(当時65歳、元NHKプロデューサー):午前中はプールに行き、約2000m水泳する。午後は図書館に行って読書する。 身近な人としか話しをしないと段々喋れなくなることが判ったので、区政モニターになり、週1回、大いに話してくる。
KK氏の場合(当時62歳、元大手重工業勤務):自分は愛犬(当時16歳)の世話があるため、何もできない。次に何をやるかは(老衰した)愛犬が死ん でから考える。(愛犬は1年半後に死んだ。大学の同期会の名幹事。最近は社会人学級によく参加している。) 【 定年後、犬も嫌がる七度目の散歩 】
YY氏の場合(当時66歳、元大手電機の子会社社長):朝は5時頃から起き出して散歩する。車を駆ってゴルフの練習 に行く。碁のテープを見て、碁の勉強をする(アマ6段)。今のところ、奥さんの病気のことがあって、 取りとめのないことしかできない。
ON氏の場合(当時63歳、元精密事務機器メーカー勤務):毎日が日曜日も1年を過ぎた。神社、仏閣、公園、河川、 美術館、映画に日々を過している。
TH氏の場合(当時72歳、元大手化学会社勤務、後、ソフトハウス経営):仕事を離れれば自由な時間が沢山できるだろう と思っていましたが、どうもそんな訳にはいかないようです。朝は5時に起き、コンピュータを触ったり、本を読んだり、ピアノの練習をしていると直ぐ昼になります。休日を除いて毎日、午後3時から7時までフィットネスに行きます。平均的メニューは有酸素運動(METSが10位)30分、ピンポン60分、筋トレ30分、ストレッチ30分といったところです。疲れて夜9時に寝ることになります。・・・AG山歩会に所属し、昨年は13回登山しました。相模大山、陣馬山、鳴虫山、入笠山、・・・(親しくなった人について)彼は若い頃から丹沢に登るために生きてきたような人で、現在、市の嘱託で丹沢の自然環境保護委員をしています。ヒマラヤにも何回か出かけたような人で、登山の専門家です。・・・(まさに人生いろいろ)

2.定年の夫をもつ妻の本音を理解せよ

「6月に第2の勤め先を退職して何もしないでいたら、見る見る奥さんが塞ぎ込んでいく。8月頃には顔つきまで変わってきた。奥さんは(今は否定するが)ノイローゼ寸前だった。これまで「亭主は元気で留守が良い」でやってきたのに、突如毎日目の前に粗大ゴミが居座る状態に耐えられなかったようだ。 ゴミなら静かにしていてくれるが、特に管理職だった人は本人が気がつかなくても奥さんには一挙手一投足を管理されているのが感じられ、堪らないそうだ。これまで何人かの部下を管理していた精力を奥さんにしか向けられなくなる。それではと図書館に行っても同じ会社にいた人に出くわす場面があり、時間潰しが目的なら行くべきでないという。 奥さんが持ってきた県立職業訓練校の生徒募集の案内につられて千葉のチベットといわれる芝山まで片道2.5時間の通勤をものともせず半年間の修行に出かけることになった。実家が材木商、蜜柑農園を営んでいた縁で木に馴染んでいた。庭いじりが好きで、30年に亙って自宅の庭の手入れを自分の手でやってきた。(訓練やテストの厳しさ、職業病である関節炎の治療法等も詳しく説明されたが、ここでは省略する。) 後日、奥さんはこれで駄目なら自分の友人が学長をしている女子大の講師を勧めるつもりであったという。(何れにしろ、外で働けということ)」 以上は2003/9/8、当会が「セカンドライフ講座」の講師としてお招きした冨来氏の講演の一部。彼の転身については、平成12年3月27日の産経新聞の記事に「還暦後の手習い/大樹なき道・元山一マンとその家族」に詳しく紹介。

同じような趣旨の記事がNEWSWEEK2004/8/25号に載っていたので、第10頁「別紙1」でご紹介する。
私がNPO活動に入ってから、何人かの活発に社会活動をなさっているご婦人がたにお会いしたが、その方たちは殆どの場合、退職在宅の不活発なご主人を抱えていらっしゃる。自宅で夫と顔を会わせる時間を少なくしたいのが彼女らの動機の一つになっていることは間違いない。 注目したいのは、2007年の年金制度改正で、現在夫が一括して受給している厚生年金等が妻にも分割受給できるようになることである。実行する多くの場合は折半になるであろう。新聞等で見かける「身上相談」でも、密かに離婚を考えている女性に対して「我慢していま少し待て」との回答が出ている。この制度は他国では当り前のもので、日本が遅れていただけである。 子供らを産み、子供らを育てて、子供らが巣立ってしまえば、生物学的には男女のペアリングの必要性はなくなった訳である。従来は夫は年金の経済力で妻を縛り付けることもできたが、今後は長いセカンドライフでカップルを維持するためには、夫の側の魅力や努力が必要な時代となる。

3.社会的活動レベルが高い人々の事例(私の知人たちの実例)

3・1 (財)省エネルギーセンターで出会った人たち

TT氏の場合:私が定年退職後の1年間、省エネルギーセンターの嘱託として働いていた当時、お会いした氏は当時66歳。前年半ばまでIHプラント建設の常勤監査役であった。発電プラントの専門家である。海外経済協力基金OECFから電源開発インターナショナル社に委託されてシリア、韓国、台湾などの発電所建設に伴う環境管理のコンサルに出向いており、その時の報酬は15万円/日という。また、日本能率協会等からISO-9000、ISO-14000のコンサルに出かけると報酬は10万円/日で、報告書はA4用紙1枚に制限されている。IH社在籍当時より収入は多いといっておられた。

MT氏の場合:当時65歳の氏は都の某局局長だった人である。省エネルギーセンターと中小企業総合事業団の 両方に省エネ専門員登録している。省エネ診断、専門学校等の講師、東京都の中小創造法認定・助成金審査等の電 気部門の審査員、専門書の依頼執筆、省エネ広報テレビへの出演等多忙を極めており、省エネルギーセンターの嘱 託(最終的に私に廻ってきた)の仕事を照会された時も、関係先への接触機会を低下させないために断っている。 定年退職してコンサルタントになって3年、スケジュール表を見せていただいたが、一杯予定が詰まっていた。 毎晩遅くまで執筆し、既に約20冊出版された努力家である。

3・2 (NPO)三鷹経営コンサルタント協会で出会った人たち

TK氏の場合:65歳の氏は大手電機メーカーの技術者出身である。社会保険労務士、ファイナンシャルプランナー、宅地建物取引主任者の資格を有し、特に社会保険労務士業務がメインとなっている。 セカンドライフで全く異なった領域に飛び込んだ事例になる。独立して3年になるが、ご自分で開拓した4社の地元企業の勤労・庶務業務全般を引き受けて寧日閑無き状況にある。彼にいわせれば、この地域にも隠れた優良企業が幾つもあり、ビジネスチャンスには事欠かない。

MS氏の場合:64歳の氏はTK氏と同じ会社の技術部門の出である。中小企業診断士、経営士ほか4種の国家試験資格を有する。彼のメインの仕事はIT技術を活かしてのホームページ作成であり、自らのホームページには1頁幾らの見事な明朗会計方式の価格表が掲載されている。受注促進のため、検索エンジンで常に上位に来る工夫をしておられる。結果的には前述資格は直接的には業務に結びついていない。当会の前会長であり、シニアSOHO普及サロン三鷹の副代表理事である。

NN氏の場合:71歳の氏は大手銀行審査部長、商社の専務を歴任した。中小企業診断士、一級販売士の資格を有する。著作を主な業としておられ、「ペイオフ解禁!あなたの資産はこう守りなさい!こう殖やしなさい!」(かんき出版)、「中国金融崩壊」(同)、「地域一番店」(経林書房)、「起業成功事例集」(同)ほか多数である。各地で講演をされる。中央区、文京区、板橋区などで診断士としての診断業務もなさっている。家族との旅行も頻繁にお出かけである。

3・3 (NPO)IAIジャパンで出会った人たち

YK氏の場合:70歳の氏は日本のN社から米国のAM社に転じ、数年前退職した。阪大卒、フルブライト資金による派遣学生である。AM社のストックオプションにより富豪となられた。現在はベンチャー支援活動に注力しており、米国で8社、日本で2社に投資・指導している。海外出張も多く、多忙の身であるが、会の重要な会議には殆ど参加されるし、インキュベーションGがベンチャーに面会・支援する会合にも参加されることが多い。 スーパーエンジェルは一匹狼が多く、群れたがらないようだが、この人は当会を創設し、自分のノウハウを日本のエンジェル育成のために惜しみなく提供しようとの意志が明らかで、感銘を受けている。

OK氏の場合:64歳の氏は某情報システム会社の常務を勤め、昨年4月退社した。それからはデイトレーダーとして修羅の日々に身を投じた。当会の副代表と同じ研究室との縁あって入会され、トレードがない夜間の会合には結構熱心に参加しておられる。会員サロンで2時間、デイトレードのお話を聞いたが、到底、私にはあの真似はできない。当会のアクティブメンバー約30名の中でデイトレーダーと知れている人が2名おられ、他のNPO等ではまだ見かけていないことからも、野心的でエネルギッシュな当会の性格を覗うことができる。

3・4 独立コンサルタントとして成功された事例

SS氏の場合:大手商社Nの技術系セールス部門で活躍した氏は2年間、関連会社に勤めた後、60歳で退社し、独 立した。現在73歳で、生涯現役を貫く意志である。最初から方向性が定まっていた訳ではなく、保険の代理店を やり、傍ら、広大な梅林を入手、晴耕雨読を志した時期もあった。63歳で「ベンチャー・中小企業のための公的資金 の上手な利用法」(東洋経済新報社)を出版、これが大当たりでセミナー業者から重用され、セミナーで著書を使い 受講者から仕事が舞い込む好循環が生れた。 NST(株)を設立、自分は講義を軸とするセールス活動に専念し、一時は20数名の登録スタッフを仕事の処理に当 らせた。私が登録スタッフを通じて紹介され、加わったのもその時期である。2000/1/1の日本経済新聞に「生涯現 役/第2の仕事人生へ/会社を離れ、忙しさを満喫」として大きく記事が掲載されているからセカンドライフの成 功者なのである。2001年出版した「公的融資・助成金/こうすれば必ず受けられる」も、同種図書を圧倒して売れて おり、再び著者として成功した。
彼は何の国家試験資格も有しないが、錚々たる資格者陣を駆使して業務に励んでいる。本を執筆し、講義をやり、 そこからの注文をスタッフにやらせるというのがスペシャリストとして最も理想的なビジネスモデルであり、年 間2000万円以上の所得を得ているコンサルタントは殆どこの類型に属する。あまりの成功に、娘婿を後継者に 擬していた時期もある。近年の不景気は中小企業からのコンサル需要を冷え込ませ、NST社も例外ではない。加 えて本人は軽い脳梗塞を2回やっており、業容はかっての数分の一にまで低下させたが、依然として意気軒昂で 活動的なSS氏である。

3・5 夢に賭ける人々

YY氏の場合:1999/1/26の日本経済新聞は「64歳元専務・人生第2幕」として次のように記す。「パソコンの国産OSと期待されながら十年前に挫折した『トロン』を、世界へ向けて再び売り出すための会社が25日、活動を始めた。中心になっているのはM電機の元専務YYさん。大企業の第一線からは身を引いたが、ビジネスへの情熱は尽きず、社員三人のベンチャーからの再出発になった。YYさんは『最後の挑戦』と楽しげだ。・・・」。YY氏は私と同じ独身寮で数年間、生活を共にし、お互いに気が合った友人であった。 トロンは理想的なコンピュータアーキテクチャの構築を目指して、1984年に東京大学の坂村健氏が始めたプロジ ェクト。144社が参加して日本のパソコンのOSとして普及させる直前の1988年に、米国の制裁をちらつかせた 貿易障壁指摘の圧力に屈してパソコンメーカーは手を引いた。その後に出たマイクロソフトのOSがデファクトスタンダードとなって世界を制覇した過程は、余りに有名な話である。なお、トロンは米国の圧力に屈してパソコンからは撤収を余儀なくされたが、その優れた性能を活かして携帯電話、ハイテク家電、通信や産業用制御装置類のOSとして普及が進み、現存するCPUの約90%のOSがトロンになっている。 YY氏は1998年末に渡米してソフト会社やパソコンメーカーなどを廻り、既にトロンを敵視する空気は失せており、「やれる」と感じた。出資者を募り、2000万円が集った。「自分たちにも夢を見させて欲しい」と知人たちが進ん でお金を出してくれた。・・・ここまでは順調であったが、その後、COMPAC社の価格攻勢に始まったパソコンの急速な価格低下のなかで、安価なOSの意義が希薄になり、結局、この試みは挫折した。出資者に報いることができなかったのを気に病み、いま、彼はうつ状態の治療を受ける身である。ここから何らかの教訓を引き出すことはできようが、結果はどうであれ、私はサラリーマンとしての成功を収めながら、ITの流れを変えるような壮大な夢に向って挑戦した彼の志を高く評価したい。

 
TK氏の場合:知り合いでもう一件、ベンチャービジネスに乗り出した事例を知っている。TK氏は現在58歳、 この起業は47歳の時の挑戦であったからセカンドライフではないが、性格的にYY氏の件と似ているので挙げたい。 彼は最初はM原子力(株)に勤務したが退社、39歳で米国のCAD/CAEソフトであるVLS社の日本法人をスクラッチから 立ち上げ、50名の規模にまで育てたが、5年目に親会社がM&Aに遭い退任。次いでHDDメーカーである米国のQ社の 日本法人をこれまたスクラッチから立ち上げ、23名の規模まで育てたところでCOMPAQ社の価格攻勢で顧客各社の売上が 急減し、日本法人は解散させられた。 米国企業に幻滅した彼は自ら4000万円出資して新市場開拓コンサルタント会社を立ち上げた。彼はCALSの将来性を信じ、 仏のN社のCALSソフトの販売に注力したが、時期尚早で東電に1システム売れただけで止まり、敢え無く失敗した。その暫く後、CALSは日本での全盛時代を迎える。要するにタイミングが早すぎたのであった。 その後、仕事人の腕前を見込まれ、ウイルス対抗ソフトMcAfeeのASP事業を立ち上げ、40名規模に仕上げ、 米国本社に吸収されて副社長になったが退社。次いでネット経由で機械装置類の常時遠隔監視ソフトの米国A社の 日本法人の社長をやったが、本社の財政基盤悪化で昨年9月に日本撤退となる。また、次も同じことの繰り返しになり そうだが、今後はボランティア活動と社会貢献のウエイトを少しづつ増したい、といっておられる。この人で注目したい のは、以前から奥さんにも社会的活動を勧め、奥さんは福祉関係のお仕事に没頭しておられることである。

4.セカンドライフの時間構成

我々は分け隔てなく1年間365日、8,760時間を与えられている。その中身が現役時代とセカンドライフではどう 異なっているのか、モデルケースで検証してみよう。時間を大きく3分類しよう。基礎時間・自由時間・就業時間 である。基礎時間は睡眠・食事・休憩・家族との団欒・健康管理・排泄・美容・理容・入浴・医療等を指し、1日10時間 として年間3,650時間(42%)程度である。 現役中の就業時間は通勤時間、職場関係の交際時間等を入れて1日11時間、1ヶ月22日として年間2,904時間(33%)程度であろうか。現役中は残る2,206時間(25%)が自由時間であった。 セカンドライフでは自由時間に就業時間が加わって5,110時間(58%)になる。現役時代に比べて、自由時間が約 2.3倍になっている。この2.3倍は充分に多いと見るか、思ったより少ないと見るか、微妙ではある。前述のTH 氏はこれでは足りない、もっと自由時間が欲しいと述べておられる。

貴方は、今、60歳で退職したとしよう。厚労省が発表する簡易生命表によると貴方の平均余命は約22年間である。60歳では多くの人たちは健康で活力に満ちている。最近の平均的事例ではこの活力は73歳頃から漸減はするものの、凡そ78歳頃までは健康で活動的な人生を送られるようだ。これから約18年間の自律的なゴールデンエィジが控えている。18年間の自由時間は91,980時間である。この18年間、貴方は思いのままに自らの人生を設計し、高い活動レベルで人生を過すことができる。 証券事業で成功して得た資金を投じて、引退後に少年時代からの夢であったトロイの遺跡の発掘に成功して歴史 に名を残したシュリーマン、或いは51歳で家督を譲って江戸に出て本格的に勉強し、56歳から17年間かけて日 本全国を踏破して正確な日本国地図を作成した伊能忠敬はセカンドライフの達人といえよう。これらの達人には及ばなくても、お互い一度きりの人生である。18年間を徒食で過すか、何らかの社会貢献を試みるか、今が人生の岐路である。

5.地域に帰るセカンドライフ

シュリーマンは他国に、伊能忠敬は日本全国に活動の舞台を拡大していった。しかし、これらは例外で、 標準的なセカンドライフの活動の場は自宅から半径数Kmの地域内であることが多い。セカンドライフでの活動範囲は 居住 地区から1時間移動圏内が限度といわれている。当地に住む非常に活動的な人でも、NGOとか海外定期移住等以外には東京都からはみ出しての定常的な活動は通常見当たらない。行政が考える地域は小金井市だが、活動的な人々は小金井市の枠を楽々飛び越えている。本文では貴方にとっての地域は自宅から1時間移動圏内と定義したい。問題はこれまで組織人間であった貴方が退職後にスムーズに地域に溶け込めるか、だ。これまでの寝に帰るだけの生活では殆ど何の手掛かりも地域に持っていない。

 
「2004年国民生活白書」に内閣府が行った「国民生活選好度調査」の結果が載っている。60歳以上の高齢者を対象に、退職した人が地域の活動にどのように関わっているかを調査している。 (1)地域の活動に現在参加している 10.1% (2)参加していないが、参加したいと考えている 51.7% (3)地域の活動に参加したくない 38.2% カテゴリー(2)の人たちは過半数を超す存在である。その多くの人たちが参加していない理由として地域にどのような活動があるかを知らないことを挙げておられる。この講座は基本的にこれらの人たちを対象にしている。それにしても、(2)と(3)を加えた89.9%の人たちは「地域の活動に現在参加していない!」。

6.新しいヒューマンネットの構築が鍵・・・新しい友人を作ろう

組織人間であった時の貴方は、組織というヒューマンネットに受動的に他律的に組込まれていた。しかし、組織から離れる時、貴方は永年親しんだそのヒューマンネットから引き離される。組織は絶えず新陳代謝し、貴方の馴れ親しんだヒューマンネットも次第に姿を変え、有効性を失う。OB会などでかつてのヒューマンネットを維持しようとしても所詮は化石化したヒューマンネットでしかなく、そこには自己実現の場はない。 地域に帰った貴方は、組織人間から地域人間に変身し、地域に根ざす新しいヒューマンネットを能動的に自律的に構築しなければならない。自分と共鳴するものを持った人たちを探し出し、次第にヒューマンネットの輪を広げて行く時、貴方は心豊かなセカンドライフを送ることができる。堺屋太一氏はこれを「好縁社会」と呼んでいる。志を等しくする人たちの社会という意味で「志縁社会」と呼ぶ人もいる。

定年を迎えると、それまでタテ社会であった人間関係がヨコ社会に変わる。ヨコ社会は基本的に上下関係がないだけに 好き嫌いがはっきり出る。組織人間であった人たちが地域人間として友人を作るには最低限の心得がある。
(1)職歴や学歴に関する話題はなるべく避ける・・・相手に対して優劣の意識を持っては友人を作りにくい。
(2)飲み会などの誘いにはできるだけ乗る・・・授業終了後などの会合は友人を作る好機。
(3)相手の意見も踏まえて会話する・・・一人だけ好きなことを話していると、遠巻きになされがち。
(4)自分が抱えている悩みや弱みを打ち明ける・・・病気や親の介護など、共通の話題から親しくなれる。
(5)相手に寄りかかり過ぎない・・・相手が重荷を感じては、付き合いが苦痛になる。
(6)孫やゴルフの自慢話は後回しにしたほうが、人間関係はうまくいく。(2005/1/16日本経済新聞記事)
 

7.どのような選択肢があるか

7・1 再就職への道

現在、その移行過程にある年金支給開始年齢は最終的には65歳に収斂する。行政機関は再任制度等で65歳までの雇用を制度化したが、民間企業は現実には60歳定年を延長する趨勢にはない。ここに定年後数年間の無年金期間が発生する。また、大手企業でもリストラによる早期退職を余儀なくされる人たちも少なくない。老後への備えを考える時、身体壮健なこの期間には退職金等の蓄えにできるだけ手を着けたくないと考えるのは極めて健全である。そのための再就職である。 公的な求人紹介機関として厚労省系のハローワーク、東京都系の東京しごとセンター、近隣では自治体系のわくわくサポート三鷹(三鷹市)がある。わくわくサポート・・・は市では三鷹、府中、立川、稲城、多摩にある。運営主体は三鷹はシニアSOHO普及サロン三鷹、府中は中小企業振興公社、立川は商工会議所、稲城はシルバー人材センターである。まさに百花繚乱、面白い時代になったものだ。小金井市の市民でも三鷹等に相談に行かれるとよい。求人情 報はハローワークからのものと、商工会等からのものから成っている。地域によって得意業種があり、介護関係は 稲城が多い。職探しは自分探しである。これまで何をやってきた、ではなく、これから何をやりたいかが決め手である。キャリアカウンセラーは求職者と一緒になって本当に本人の適性に合った仕事を探す。小学校上級から中学校時代に純粋に好きであったことがその人の適性であることが多い。適性検査の手法として60問からなるSCT文章完成法テストを用いることがある。 実際、求職してみると直ぐ判ることだが、本人が就きたいと思う仕事が見付かる年齢上限は女45歳、男55歳である。 わくわくサポート三鷹には84歳の人が来たことはあるが、70歳以上の人が求人票で仕事を探せるのは希有のことである。やはり地縁・人縁が必要である。60歳以上の求人で多いのは介護、駐車場・駐輪場の管理、マンション管理、テナントビルの管理(ボイラーや電気の資格が必要)である。 専門職・管理職で高度の能力を有する人は、交通会館にある東京人材銀行に当たるとよい。 ハローワークで職探しをやっている実績、職業訓練を受けていることで失業保険の給付期間が延長される。

ここで、少し、年金に触れておく。セカンドライフの経済においては年金の存在が大きい。近代的(老齢・障害)年金制度は1871年プロシャ帝国の統一を果たした鉄血宰相ビスマルクが1880年代に労災保険制度、健康保険制度と共に作り上げたものである。積み立て方式の考え方に立てば現在70歳前後の人たちは平均して納付の3倍の給付を受ける(社会保険庁は企業が納付した本人と同額の年金納付金とインフレ系数を無視してもっと大きな数値をいう。何たる欺瞞!)。現在55歳前後の団塊の世代までは自分の納付額を遥かに上回る年金を享受することができる。現在30代の人々はこの制度を維持するためには自分たちが納付したより少ない受給額で我慢しなければならない。社会保険庁が発表した2002年度の20代前半の人たちの国民年金保険料の未納率が53%と危機的状態にあり、若年層がこの制度を全く信頼していないことが明らかになっている。30代の人たちは個人年金に雪崩れ込んでいる。長期的には当然に給付金圧縮の方向に向かう。何れ皆さんの覚悟が問われる。

7・2 ボランティア、もしくはそれに近い活動

7・2・1 地方自治体等の活動を支援する

現役中は寝に帰るだけとはいえ、自治体のサービスを一方的に受ける立場であった。現役を外れた今、少しでも地域にお返しをしたい、役立ちたい、と考える人たちが多数いる。一方で、最盛時は約1100人いた小金井市職員も現在は約800人まで減員し、天下に鳴り響いた小金井市の高人件費率問題も終息しつつある。当然、職員数の減少に従って人手を必要とするサービスの総量は減少せざるを得ない現実がある。大局的に見れば、地域に戻る人たちが「民でやれることは民で」の国家の基本方針に沿って地域社会を支えるサービスを担うのは社会的要請でもある。 それら期待されるサービスの一部を挙げれば、地域の防犯・防災活動要員、学校の学童の安全確保要員、有料ゴミ収集でのゴミ出し指導員、少年野球・少年サッカーの指導者等々である。これらは女性が夜でも安心して家まで帰られる、或いは子供が安全に学び遊べる地域環境を作り出すために必要な基礎的社会サービス業務である。 更には、現在、自治体が管理する公会堂や図書館や美術館や公民館などの施設運営を民間が引き受ける指定管理者制度の本格的施行(2006/9)を迎え、民間でやれる業務の民営化が今後、急速に進展する。 これらのより良き地域社会を実現するための社会インフラの維持に使命感に燃えた地域に戻る人たちの参加が強く求められている。 若干心配があるのは、これら重要な社会インフラを担う人たちに報いる金銭的報酬が現状では余りに少な過ぎることである。公民館の企画運営委員の例を挙げよう。この人たちは市報等での公募により、任期二年間で任命される。実体として月15〜22日、1日6〜8時間活動している。彼らの報酬は年間6万円、月5000円であり、時間単価27〜55円に相当する。この仕事に意義があると思うからやっているので、これが勤労に対しての報酬と考えたらやっておれないと委員たちはいう。しかし、これらの業務を無償に近いボランティアに担わせようとするのでは長続きしないのではなかろうか。 志木市は行政の民営化を最も積極的に進めている自治体であり、民営化業務には1時間約700円の報酬を支給している。標準モデルベースでこの程度の報酬を出さなければ、多くの人たちをこの方面に誘導することは難しい。
 

7・2・2 シルバー人材センター等

私の自宅のご近所に金融機関に勤めて来られ、第二のお勤めも70歳までやって定年になられた方がいる。1年間 ほどすることがなくて家に引き篭もっておられたが、憂鬱そうな表情をしておられた。この方はシルバー人材セン ターの門を叩かれて、思い切って駅の駐輪場の管理人をおやりになった。なんと見る見る快活な表情になられて、 今は元気に勤務の毎日である。管理能力のある方で、人の手配まで任され、現場の責任者をやっておられる。仕事 というものが、如何に人間の生き甲斐になり得るかを垣間見る貴重な機会であった。 シルバー人材センターは全国の自治体の75%が設置しており、小金井市の場合は約1200人の人材登録を持ち、月 1回以上働く人は約800人、年間売上高約4億円である。駐輪場の管理(20数カ所)約340人が最大の受託業務で、 植木剪定、草取り、学校清掃、見回り、公会堂・体育館の受付、市報配布、翻訳、パソコン教室、電話催告、その他多岐に 及ぶ業務をこなす。センターによっては育児支援サービス、小中学生向け学習教室、竹炭と竹酢液の生産・販売、シ ルバーCMタレントクラブ、史跡の案内ガイド、配食サービス、家屋の耐震性診断、建築の施工中検査、大學の図書 館の貸し出し管理、留学生寮の管理、等の特色ある事業を行っている。 収入から6%を差し引いて作業者に渡すシステムで、市からの受託業務の報酬は860円/時である。民間からの仕 事は受注金額に応じてより高い報酬が支払われる。年収最高100万円級から数千円までおり、アクティブメンバ ーの年収は平均約40万円である。
 

7・2・3 各種NPO等

詳しい話は大橋代表がされたが、幾つかのNPOは会員の提案により事業を創設・運営する。地域に活動する人たちが自分でやりたいことを企画し実行できる基盤(プラットフォーム)を提供するのが当NPOだと考えてよい。ここでは指示待ち型では何も進まない。会の方針・定款に大きく外れない限り、何人かの有志を募って最も関心を持てる事業を企画・創設して運営することができる可能性に満ちた場である。
 

7・2・4 海外に雄飛する...NGO等

地域を飛び出すが、退職者にとっては重要な選択肢の一つである。スマトラ島沖地震の被災者への支援、タイやカンボジアでの地雷除去、後進国の地場産業振興のためのフェアトレード活動、国境を超える医師団等、働きの場は全世界に広がる。我が国のNGOは欧米に較べ弱小といわれてきたが、政府と経済界が協力してNGOを支援する機関「ジャパン・プラットフォーム」が2000年に発足するなど、めきめき力を付けてきた。もともと人材が不足している世界だけに、組織的行動に馴れ、管理力がある企業のOBは大歓迎である。これらの活動では旅費・現地での生活費等は支給されるケースが多く、有償ボランティアに属する。 主な国際協力NGOを挙げる。AMDA(www.amda.or.jp)、オイスカ(www.oisca.org)、JEN(www.jen-npo.org)、人道目的の地雷除去支援の会(www.jahds.org)、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(www.savechildren.or.jp)、難民を助ける会(www.aarjapan.gr.jp)、日本国際民間協力会(www.kyoto-nicco.org)、日本国際ボランティアセンター (www.ngo-jvc.net)、BHNテレコム支援協議会(www.bhn.or.jp)、ピースウインズ・ジャパン(www.peace-winds .org)、ワールドビジョン・ジャパン(www.worldvision.or.jp)、国際社会貢献センター(www.jfic.or.jp)、日本紛争予防センター(www.jccp.gr.jp)、アジア環境連帯(www.ngo-ace.org)。 (2005/5/22日本経済新聞記事より) 海外協力機構(JICA)等の登録専門家、或いはシニア海外ボランティアとなって、新興国の技術指導等に赴く人たちも多い。前述TT氏は前者の事例である。
 

7・3 専門家としての生きること

社会的貢献が大きく、かつ、収入も比較的多い活動分野である。国家試験資格である弁護士、弁理士、公認会計士、 税理士、司法書士、行政書士、社会保険労務士、中小企業診断士、ファイナンシャルプランナー等、さらに宅地建物取 引主任者、介護福祉士、危険物取扱主任者、1級・2級建築士、消費生活アドバイザー、第一種・第二種電気工事士、旅 行業務取扱主任者、マンション管理士・主任者、等々と多数ある。これらは資格で仕事をする人たちであり、基本的 に知識労働者である。スペシャリストとして仕事をする際の大事なキーポイントは次のようである。
 

(1)名刺に書かれた専門家名は、仕事を求めていること、正当な報酬を要求していることの意志表示である。
(2)専門家の会合に積極的に参加して、情報蒐集と人脈形成に努める。
(3)良くできたホームページを持つ。こちらの希望通りにヒットするキーワードを選んで組み込む。
(4)最初は何にでも応じる。仕事の実績と共に、やがて自分の専門性が絞られてくる。
(5)専門家は遅刻しないこと。どんな仕事でも廻せる多様な人脈を持つことが肝要。
(6)公的な仕事には全て定年(通常max.70歳)がある。人脈があればそれ以上の年齢でも可能である。
(7)本を出版し、講習会の講師をやり、顧客の依頼を待つのが専門家として最も効率が良い処世法である。
(8) 専門家として世間との密接な関係を維持するのは、充実したセカンドライフを送る優れた生き方である。

 

7・4 開業・起業

国民生活金融公庫総合研究所の2002年度新規開業実態調査では、開業時の年齢が45歳以上の割合は36.5%、5 年前に比べ4ポイント、10年前より13ポイント強上昇した。大企業などでの経験をもとに、第二の人生として創 業に挑む人が増えている。創立間もないベンチャー企業の経営陣に転ずる例も目立つ。(2003/10/1日本経済新聞 記事) 「7・1再就職への道」で、60歳を超えての求職は極端に業種が限られていることを述べた。これも自ら起業 しようとする人たちが増加している原因である。外食業やサービス業に転じて成功しているケースが多いようで ある。  

7・5 生涯学習コース

最近、各大学で多彩な社会人教育が行なわれるようになった。近くでは亜細亜大学を始めとする幾つかの大学の活 動に気付くし、本年10月開校予定の三鷹ネットワーク大学もまたその一つである。このような場で生涯学習に励 むのも一つの生き方である。また、このような場で有益な人脈ができるケースも少なくない。できれば、学習専一 に終わらず、そこからご自分で何かを生み出し、社会に対する行動へと還元・発展できれば、なお好ましい。 次のエピソードはトフラー氏が主宰する未来学セミナーでのものである。「ある冬の晩、著者が指導していた未来 に関する社会学セミナーの教室で、一人の白髪の老人が立ち上がって、何故このクラスに出席したかを皆に説明し たことがあった。・・・ 『私の名は、チャールズ・スタインである。私は、生涯、裁縫師をやってきた。私は77歳だ が、若いときに得られなかったものを得たいと思う。私は未来について知りたいのだ。私は教養ある人間として死 にたいのだ。』と。この飾り気のない言葉のあとに起った突然の沈黙は、今でも、その教室にいた人々の耳にこびり ついているだろう。この老人の貴重な言葉の前には、学歴、大会社の肩書き、高い地位といえどもまったく無意味に みえた。」(A.トフラー/未来の衝撃/実業之日本社刊) 学者や研究者が定年後もライフワークの研究活動を続けるの立派な生き方である。この場合は最早、論文の数を競う時期は過ぎ去ったのだから、容易には結果が出ない難しいリスキーな大きなテーマに敢えてチャレンジするのも素晴らしい生き方ではなかろうか。

まとめ

人生50年といっていた当時は退職すると俳句、囲碁将棋、ゴルフ、菊作りなど趣味の世界に没頭して死ぬまでの何年かを気楽に過ごした。いわゆる余生である。しかし、江戸時代には、比較的若くして家督を子供に譲り、人生の後半期で素晴らしい仕事を成し遂げた人物が少なからずおられる。人生82歳時代には60歳で退職、後を趣味に遊ぶのでは22年間が余りに勿体ない。社会の第一線から離れても、本人の気力・体力が充実している間は社会への奉仕、社会への働きかけを放棄してはいけないのだろうと思う。 このテキストでは社会への働きかけが少ない人たちと、大いに働きかけている人たちを対比して記した。全員、私の知人で、記述内容は真実である。 哲学の問題として考えると、セカンドライフの人生設計には何の制約もなく、社会への働きかけに固執することに何の意味もない。社会学の問題として考えると、少子化でサービスを提供する現役世代が漸減する21世紀前半の日本では、高齢化でサービスを受ける側が急増するため、サービスの需給のバランスが崩れる方向に向かうであろう。このバランスを崩さないために、セカンドライフの側の人たちも可能な限り、社会に対するサービスを提供する側に廻ることが時代の、そして社会の要請である。貴方はどちらの立場を取るか。後者の立場を取る人たちが多いほど、社会は活性化し、豊かになり、安定度を増す。 本テキストができるだけセカンドライフを近い将来に控えた人たちに読まれることを期待する。セカンドライフの諸相を知り、それに対する心構えと具体的準備に入る助けになれば望外の幸いである。  

以 上

 
今、ヘルパーさんたちの間の隠れたヒットソングは「ボケない小唄」と「ボケます小唄」である。大昔はやったお座敷小唄の替え歌で ・・・ ボケない方の例は「スポーツ、カラオケ、囲碁、俳句、仲間と楽しみ、いきいきと、ボランティアして喜ばれ、生き甲斐ある人、ボケません」。 ボケる方の例は「酒も旅行も嫌いです。歌も踊りも大嫌い。お金とストレスためる人、ひとの2倍もボケますよ」(堀田力:2004/2/29日本経済新聞)

 
「悠悠自適」という言葉のなかに逃避してはいけない 昭和天皇と同じ生れ年だという近所のご老人が亡くなった。享年96歳。前日まで意識がしっかりしていたというからお目出度い様な話で、・・・ 20年も前の話だ。ある雪の朝だった。通りすがりにご老人の姿を庭に見かけたので、見るともなく見ていると、なんと、庭木の葉に積った雪を1枚、1枚、手にした筆の穂先で丁寧に払い落としているのである。私は瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。咄嗟に、これは風流とは違うなと直感したからだ。こんな侘しい風景がまたとあるだろうか。小さな庭、何本もない庭木、枝を揺すってしまえばあっという間に終わってしまうのだ。だから、1枚、1枚、雪を払って何日もの楽しみにした。・・・ このご老人は、一流商社を定年で退職したが、あとは生涯家庭の人だった。40年間も。・・・教養もあり、語学も達者だった。年取ってからも毛筆を習い、ワープロも覚えた。けれどなぜか外部との接触を絶った。・・・ 同世代の大半が現役を退くようになって、私はいまや悠悠自適の正体を余すところなく見てしまっている。 それは突き放した言い方をすれば、単なる粗大ゴミに過ぎないのだ。その人たちは近況を問われると、「いやー、今は悠悠自適の身です」と答えるに決まっているが、その答えは強がりでなければ諦めであり、実はちょっとばかり響きの良いその言葉の中に逃避しているに過ぎないということは、その人の目を見、服装を見、態度を見ればすぐ察しがついたのである。・・・ どんな小さなことでもいいから、「自分」を「表現」するという行為を続けて、世間と繋がる糸を切らないことが大事だ。体力、気力が続く限り、頭が働く限りだ。世間から身を隠すのが一番いけない。・・・ただ自分が生きていることを確かめるためにやればよいのである。・・・人と人との間の表現に価値や楽しみを見る「表現社会」では、世間との間のある種の緊張関係が生き甲斐の前提になるのだ。・・・ 藤岡和賀夫(Voice 1997年10月号) 伊能忠敬の見事な見事なセカンドライフ 忠敬は下総国佐原村の名主である。忠敬は利根川の洪水で田畑の境界を復元する際に、測量の面白さに目覚める。家業の米問屋の仕事で、仕入先の米所、東北や関東の商圏を地図でとらえたくなる。江戸へ出る前に天文歴学の基礎編ともいえる「授時暦」の教科書を江戸から取寄せて勉強していた。読みこなすには漢学の素養が必要になる。これを近くの津宮村に住む17歳年下の漢学者、久保木清淵から学んだ。 忠敬は51歳で伊能家の当主を隠居し、江戸に出る。江戸で天文学者、高橋至時(よしとき)の弟子になり、5年間に亙って先端の学問である天文暦学や測量技術を学ぶ。至時は忠敬の19歳年下である。56歳から17年間、測量隊の隊長として35,000Kmを踏破して大日本沿海実測全図を作る。測量の旅先でも大名や知識人との交流を深め、当時としては非常に広範囲の人脈を築く。56歳から73歳にかけてであるから、相手は大方が年下だ。年下の人から謙虚に学び、人間関係を大切にする人であった。 忠敬は大日本沿海実測全図作成中、74歳で亡くなる。地図は3年後に完成。この時、重要な役割を果たしたのも清淵ら若き友人や弟子たちだ。偉業を可能にしたのは充電、とよく言われる。資料を丹念に眺めると、その時期に身につけた学問もさることながら、充電前後に築いた豊かな人脈こそが大きな武器になったようだ。地下鉄銀座線稲荷町駅近くの源空寺の墓地にある伊能忠敬の墓は高橋至時の墓に寄り添うように建っている。 (2004/5/2日本経済新聞/足立則夫著に拠る)

 
青春の賦: サミュエル・ウルマン 若さとは 人生のある時期のことではなく 心のあり方のことだ 若くあるためには 強い意志力と 優れた構想力と 激しい情熱が必要であり 小心を圧倒する勇気と 易きにつこうとする心を 叱咤する冒険への希求がなければならない 人は歳月を重ねるから老いるのではなく 理想を失うときに老いるのである